豊臣秀吉を占ってみた (+家康との比較)
前回は、織田信長の命式を見ましたが、今日は豊臣秀吉の命式を見たいと思います。
生誕 | 天文6年2月6日(ユリウス暦1537年3月17日、先発グレゴリオ暦1537年3月27日)(『関白任官記』、『豊国大明神臨時御祭礼記録』)[1][注釈 1] |
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豊臣秀吉 命式表
[命式]
日 月 年
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丙 壬 丁 :干
辰 寅 酉 :支
戊 甲 辛 :蔵干
偏官 劫財 :蔵干
食神 倒食 正財 :通変星
冠 長 死 :十二運
[五行]
木: 1
火: 2 (👈日干)
土: 1
金: 1
水: 1
秀吉公の命式五行は、日干以外の五行が全て揃っていて、四柱推命では完全形の五行となっています。
要するに、日干が丙でそれ以外の五行が全てバランスよく揃っていると言う事は、比劫・食傷・財星・官星・印星と全てに縁があって人間的資質も良好で、精神的にも安定してる事になります。
特に目を引くのが年月の天干の丁壬化木で甲となりその通変星は倒食です。
年月に印星の出る者は、守護神に守られてるとされていますので、秀吉の運の強さはこの辺りにも表れています。
※倒食は偏財で制されても守護神のご加護はありますが、印綬の場合は近隣に正財があれば印綬は破られて、守護神には守られません。しかし信仰伸のある家庭で育った場合は守護神やご先祖様からの加護があります。
また、月の天干の偏官は、貧しい家の生まれを意味していますから、秀吉の生まれが貧しい百姓だったことも命式に出ています。
偏官は身体の移動とかフットワークが良い星で、動きたくなったり、動かされる立場にもなります、そんな偏官を持つ人は日干が強くなければ、偏官(動き回る・回される星)を使いこなせずに病気となるとか下手すれば短命で終わってしまいますが、日干の強い秀吉はこの偏官をうまく使いこなせて、前回放送の大河ドラマ「豊臣兄弟」での中国大返しと言う離れ業をやってのけて、光秀を討ち果たして信長の仇を取っています。ここにもし凶星の偏官ではなく、ある意味で尻の重たい吉星の正官であれば、ここまでの行動力も活躍も絶対にあり得ませんでした。
世の先生方の中には、命中の吉星が全て良くて凶星は全てにおいて悪、と論じられてる方もいらっしゃいますが、時としてライバルを出し抜くためにはこの様に凶星をうまく使って、のし上がってゆく場面も大いにあることも知っておいてください。
そして、年支にある正財は秀吉にとっては父親であり、妻の寧々さんでもありますが、真上に正財を剋する劫財があるので、日干が並みの強さ又は弱い人なら父親も妻も死んでしまいますが、特に寧々さんは余程に日干が強かったのかして、死にはしませんでしたが相当に秀吉には女性関係などで苦しめられたのは、この命式にも出ています。
寧々さんの命式を調べたいのですが、残念なことにウイキペディアにも載ってないので見ることができません。
次に余談ですが、徳川家康の命式は次の通りです。
生誕 |
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徳川家康 命式表
[命式]
日 月 年
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壬 癸 壬 :干
寅 丑 寅 :支
丙 丙 甲 :蔵干
劫財 比肩 :天干通変
偏官 劫財 偏官 :蔵干通変
病 衰 病 :十二運
家康の日干支は壬寅ですが、秀吉の月の干支と全く同じです。
要するに、家康自身は秀吉の運勢のパーツであったことになります。
秀吉にすれば年月天干の丁壬化木も弟秀長と、家康をうまく嚙み合わせて、自分の徳にしていけてましたが、秀長亡き後に干合の相手も居なくなり元の偏官(壬寅)として、豊臣家を裏切る疚しい心が湧いて出てきた・・・とも解釈できます。
そもそも論ですが、家康のこの命式で天下なんて取れるのかもが疑問です。
劫財~劫財の説明(四柱推命秘傳禄(初級)八一項)でも書かれてるように、運勢だけではなく人間的にも信用ならない命式であると判断せざるを得ません。
抑々論として、比劫大過って印星を激しく漏気させてるので、頭と根性が悪くて、しかも肝心な時は動きたくても動けずに、本能寺の変の時がまさにその好例です。当時、家康は本能寺には誰よりも一番近くにいたのですが、手勢を殆ど連れていなかったので、只管に堺から逃げるしかない体たらくでした。
要するに、家康の命式と秀吉の命式では運勢運気の差は歴然。
だから、家康は秀吉の存命中は秀吉には全く頭が上がらなかったのです。
これがシビアな運命学の現実です。
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