徳川家康を占ってみた

今回は徳川家康の命式を見てみました。
歴史小説では、嘸かし大人物の如くに描かれていますが、それが本当なのかどうかはその時代を生きてなかった我々には判断はつきません。
小説やメディアの情報を信じるしかないのですが、こういう時こそその人の命式を出して判断するのが我々占い師の癖でもあります。
生年月日などはウイキペディアで調べました。
そして命式表は一般に販売されてる四柱推命ソフトやアプリでは1900年以降の命式しか出せませんので、いつもお世話になってる「四柱推命命式作成(精密版)」のサイト様で出させてもらいました。
以下がそのコピーです
徳川家康さん
1543年1月31日 4時0分生(地方標準時)
性別:男命
均時差 | -13.00分 |
補正後の値 | 1543年1月31日4時6分 |
節入日(前月) | 1542年12月28日0時46分 |
節入日(当月) | 1543年1月27日17時0分 |
節入後日数 | 3.46日 |
太陽黄経 | 320.24° |
タイムゾーン | 9.00時間 |
地方時差 | 19.08分 |
●命式
■蔵干算出法[泰山式]
[全て余気~正気を考慮]
空亡: 辰巳
天干 | 支合 | 冲 | 地支 | 蔵干 | 天通変 | 地通変 | 十二運 | |
年柱 | 壬 [水] | 寅 [土] | 戊 丙 甲 | 比肩 | 偏官 | 病 | ||
月柱 | 癸 [水] | 丑 [水] | 癸 辛 己 | 劫財 | 劫財 | 衰 | ||
日柱 | 壬 [水] | 寅 [土] | 戊 丙 甲 | --- | 偏官 | 病 | ||
時柱 | 壬 [水] | 寅 [土] | 戊 丙 甲 | 比肩 | 偏官 | 病 |

見やすくするために縦書きにしました。
徳川家康 命式表
[命式]
時 日 月 年
-------------------
壬 壬 癸 壬 :干
寅 寅 丑 寅 :支
甲 甲 丙 甲 :蔵干
比肩 劫財 比肩 :天干通変
偏官 偏官 劫財 偏官 :蔵干通変
病 病 衰 病 :十二運
[五行]
木: 4
火: 0
土: 0
金: 0
水: 2 (👈日干)
[空亡 ] 辰巳(官)
[身強弱] 身弱
[格局 ] 偏財格
[喜神 ] 食傷
[忌神 ] 倒食
[仇神 ] 比劫
[救神 ] 正官
五行のバランスは悪く、以前に紹介した豊臣兄弟の様に二人とも五行が日干以外全て揃ってるという貴命ではなく、日干が壬で木が多い命式ですから、縮水(しゅくすい)と言う命式となります。※四柱推命秘傳禄(中級)51項参照ください。
少し書き出せば。
「志あれど事に挑んで挫折するか、実行力を欠き生活が不規則となる・・・云々」
また、通変星を見てみますと月柱の上下に劫財が二つ並んでいます。
四柱推命秘傳禄(初級)81項の「通変星と通変星の関係と作用と行運」の劫財から劫財にも記してあるように、正直言って閉口する資質の人物です。
少し書き出せば。
「劫財は正財を酷く痛める」
確かに、信長から謀反の疑いをかけられて、正財である正室の妻と長男に罪を着せて身代わりにしています。また、跡取りの長男は通変星でいえば正官となり、家康の空亡も正官を空亡していますので、家康は己が保身の為に妻と子供を犠牲にした・・・と見るのが命式からの判断です。
加えて、劫財から劫財は。
「性格も二重人格で、利益になる人にはゴマを摩ってすり寄るが、利益が敵対すれば策を用いてでも相手を失脚させる」と言う、筆舌に尽くしがたい性質の人物だという事が伺えます。現に、伊達政宗も家康に騙されて、煮え湯を飲まされています。
命中に刧財二つか一つの刧財と二つの比肩がある場合は自己主張が強すぎて保身と自己の正当性のためには平気で嘘を言う人物です。
ただし、命中に刧財を制する正官があればその限りではなく性格的にも良好となりますが偏官だと却ってその悪質性は倍増します。
秀吉健在中、秀吉にはどうしても勝てないと悟った家康は、只管に秀吉にごまをすって豊臣家の重鎮にまでのし上がりましたが、秀吉の死後は本性を露わにして秒で豊臣家を裏切って滅ぼしています。
その他、命式を見れば見るほどに突っ込みどころ満載ですが、総じて感じるのは「この命式で人望があって天下取れるの?」と言うのが占い師の視点からの正直な感想です。
そうなれば、家康って本当に天下人になってたの?と言う疑問も出てきます。
しかし現実には徳川が天下を治めたのですから、天下を取れる命式としてあり得るのは二代将軍の徳川秀忠です。
徳川秀忠さん
1579年5月2日 4時0分生(地方標準時)
性別:男命
均時差 | 3.14分 |
補正後の値 | 1579年5月2日4時22分 |
節入日(前月) | 1579年4月26日21時33分 |
節入日(当月) | 1579年5月26日17時46分 |
節入後日数 | 6.28日 ※前月(年)からの節入後日数 |
太陽黄経 | 50.24° |
タイムゾーン | 9.00時間 |
地方時差 | 19.08分 |
●命式
■蔵干算出法[泰山式]
[全て余気~正気を考慮]
空亡: 申酉
天干 | 支合 | 冲 | 地支 | 蔵干 | 天通変 | 地通変 | 十二運 | |
年柱 | 己 [土] | 卯 [木] | 甲 乙 | 正官 | 食神 | 死 | ||
月柱 | 戊 [土] | 辰 [木] | 乙 癸 戊 | 偏官 | 傷官 | 墓 | ||
日柱 | 壬 [水] | 午 [火] | 丙 己 丁 | --- | 偏財 | 胎 |
秀忠の命式を見る限りは、家康よりかは余程に天下人の資質は見て取れますから、現実には秀忠が天下を取ったという仮説も成立いたします。
話は家康に戻しますが、この命式では天下人以前に、百姓出身の豊臣兄弟が生きてる間は絶対に勝てなかったのは確かです。
家康も、それを知ってて江戸時代は子平(四柱推命)を禁止するという暴挙を行っています、「見ざる聞かざる言わざる」の、まるで共産国レベルの情報統制の暗黒の江戸時時代が終わり明治維新後に子平が復活してその後に四柱推命と名付けられています。
実は家康の墓は大阪にあるのです。
この話をすれば関東の人は悔しそうに「それって都市伝説でしょ」って鼻で笑うが・・・。
まあ、一度お読みください。
今も昔も「歴史」は勝者の手によって勝者に都合よく作られて、敗者には正義は微塵も伝えられないのが「歴史」と言う残酷な世界です。
でも、歴史上の人物の生年月日が分かればその矛盾も明らかにすることができますので、この勉強は歴史好きの人にも面白い分野だと思います。



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